18日 4月 2019
紺野機業場は誠に勝手ながら4月28日~5月6日までGWのお休みをいただきます。令和元年のスタートは5月7日からとなりますので何卒よろしくお願い申し上げます。
15日 4月 2019
伊藤若冲に思う歴史と現代との差分。 100年も昔の技術である京都の美が若冲を通して感じられます。 われわれはどうしても絹本を見てしまいますが、その当時の技術であれほど綺麗に製糸が出来たのか。 そして、製織するためにどうやって竹筬や糸製の綜絖を使ってやったのか。誰がこのような緻密な織物を織ったのかなど、その後の加工までいろいろ興味深いものを感じました。 そして何より、絹に鉱物を使って表現する色の技術など京都でなければやり方すらも知らないことを若冲を通して感じました。 絵師なので観察力や繊細な筆使いもさることながらそのバックボーンに潜む時代の技術を学ぶのでした

12日 3月 2019
一方、川俣では原発の問題が大きくクローズアップされます。 放射能の問題から廃業をよぎる状態へとなります。 会社は当然創業ストップ。 4代目はスタッフには逃げれるものは皆逃げなさいと伝え、抱えていたあるだけの在庫はすべてお客様の協力で生産ストップによって業界に迷惑がかからぬように速やかに配送するのでした。 そうです。4代目。ここが紺野の終着駅だったかと覚悟したのでした。 みな。 そのときは。 しかし、お客様は紺野を見放すことはしなかった。 スタッフも戻ってきた。 それこそが5代目が戻ってくる一番の要因かもしれません。 紺野でしか作れないシルクが世の中に必要とされ、スタッフが逃げなかったということこそが今現在にいたるのかもしれません。 あれから8年。大きな決断や大きな進路変更。大きな別れそして大きな一歩を踏み出す分かれ道となったことは間違いございません。 まだまだ、復興とはいえません。 さよならしたお客様もおりますし、新たに紺野のファンとなっていただいたお客様もございます。 これからの課題はまだまだありますが、未来に向けて一歩一歩また新たに踏み出していこうと誓った3.11でした
12日 3月 2019
それから1ヶ月。 そうです。被災生活がスタートするわけなのです。 トイレのために川から水を汲み。 昼間は食材を求め並び、 夜は余震におびえながらラジオとあのとぅるんとぅるんの音に目を覚ますのでした。 ちょうど、2週間ほど過ぎたころでしょうか。 ACジャパンのCMが頭をずっと駆け巡り、ようやく携帯電話を使用できるようになっていろんな友人と連絡を取り合ったのは、 もちろん、浜の近くにいた人間の悲劇や訃報、頭がおかしくなって遺体を拾ってくるやつから。 いろんな状況が少しずつ被災地にも明らかになってきました。 まさか、自分は津波まで味わうことはなかったけど、こんな惨事が待ち受けてたとは全く知らなかったのです。 泣くことなどできないのです。 やり場もないのです。 ただ、そこに地震と津波がやってきたという現実をただただ受け入れるしかないというむごい。 知り合いの気持ちは全くもって私には計り知れず 代弁することも出来ないのでした。

12日 3月 2019
3.11は日本人みんながそれぞれの震災を経験した日といえます。 私5代目にとっての震災は宮城県の大崎市で遭遇することになりました。 その日は苗場スキー場に行こうねと皆で約束し、そわそわした日でまさかあんなことが起こるとは全く思いもしなかったのです。 いつもどおり仕事をしていたところに急にきた地震。 子供のころには机の下に隠れてと学んできたけれど、地面が波打っていて到底机にもぐるなど怖すぎて出来ませんでした。 必死に倒れそうな机を抑えながら周りの人たちが動くのを見ていました。 怖くなって一目散に外へ逃げる人、机に隠れてただただ収まるのを待つ人。ずっとずっと地震がとまることはなかったのです。 ようやく少し落ち着いたころ、安否確認して皆帰宅を急ぎました。信号もつかず電気がない中。夜が来る。という焦りから皆帰宅を急ぎました。 町は灯りを失い、水が絶たれ、寒いー5度近い中を毛布と寝袋にくるまりながら夜を過ごすのです。 家の中にいると余震の連続で不安になり、車でTVをつけるのでした。 少しでもガソリンを節約しながら見たその光景。信じられるわけがなかったのです。自分が波乗りした海が。まさか。
05日 3月 2019
大塚家具の大塚久美子さんの会見でTVをにぎわせておりますが、大塚勝久さんとの和解を呼びかけという報道。 一族経営と呼ばれる会社にはどうしても良い面と悪い面があります。 どちらの経営判断が正しいとか間違っているとかそういった簡単な話ではないのが事実です。 経営とは決断の連続で、正しくても間違っていても前に進むことしか出来ません。 振り返ってみれば「ああ、あの時代にああやっていれば」という想いはわれわれにもあります。 しかし、過去や歴史に憂う必要はないのだと思います。 常に経営は未来に向かっての歩みであり、一族であればその想いは血を辿って脈々と流れ。過去に感謝し、未来に挑戦することが出来ると思います。 そういった気持ちを社員と共有できればさらに幸せで、明るい未来が築くことが出来るのだと思います。 最後に勝久さんの言葉に「家族なんで仲直りは出来る」とあるように。 一族には簡単に会社を切り捨てたり、家族を決裂させたりは出来んという良い面もあります。 さて、5代続いたわれわれの会社も次の未来への課題と思って真剣に取り組んで参りたいと思います。

12日 2月 2019
付加価値を生み出しなさい。 付加価値を付けろ。 仕事をしていると付加価値という言葉がいろいろ飛び交います。 じゃあ、付加価値ってどうやって生み出せばいいんでしょう。 紺野はこう考えます。 どっかに売られている機械を買ってきてがんがん動かすこと ではなく、 そこで生み出すものや、生み出したものに人間のアイデアが人間の手しごとが加わることが付加価値だと思います。 つまりAI時代に突入しているかもしれないけど、付加価値を付けるには最後はヒトなんだよと感じるわけです。 でも、付加価値なんて簡単に生み出せない。そうなんです。大変です。 その生み出し方はきっとヒトがやりたがらない部分にこそあるんだと思います。 一生懸命手入れした作物がすばらしいのと同様。ヒトの手がアイデアが生み出す付加価値を創造しなければなりません。 紺野が持っている付加価値はすべて古の先人が描いた付加価値です。 チキンラーメンのような努力をする時代がわれわれにも必要だと危機意識が高まっております。
08日 2月 2019
今回は日本の羽二重についてみなさまに わが社は産地の名称でもある「KAWAMATA」ということで 川俣絹(軽目羽二重)を中心に製造しております。 日本の羽二重業界は 本来の川俣絹を製造できる弊社1社が軽目を 着物業界を中心に胴裏用生地として福井の織り屋が重目を ということで棲み分けがなされております。 問題はここからですが、 8匁~12匁となると中目ということになります。 ~8匁は軽目 8~14匁は中目 14~匁が重目 この中目の上等な羽二重を製造している会社は日本では今では見たことがございません。 経糸の設計から中目は他と比べ用途が難しくなります。 なぜなら軽目から比べ透明感がなく、 重目から比べ透けてしまうという中途半端な生地となり、 織り屋はほとんどこのクラスの生地を製造することを嫌がるためです。 しかしながら、嫌なことをやって用途を見出すことが必要かもしれません。 紺野がやるか、福井がやるか。 羽二重の世界も誰でもいいってことではないんです。

21日 1月 2019
昨日は紺野機業場にお越しいただきありがとうございました。古い会社、古い機械にびっくりされたことと思います。 また小さいお子様まで福島に来ていただいたこと感激しております。 興味を抱いて福島に来ていただけることへ感謝いたします。 今回来てみてよかったと思われた方々、ぜひふくしまのよかった部分をお友達などにお話していただけるとさらに幸いです。 原発のあの出来事から日に日に人がいなくなるこの地域にとってそれが何よりの喜びと変わります。 ぜひまたどこかでお会いできることを楽しみにしております。 日本文化の中できっと皆様のそばに弊社がいることを祈っております。
14日 12月 2018
早くも雪の季節がやって参り、白いひげのおじさんが出没する時期となりました。気がつけばあっという間に2018年が終わりを迎えようとしているわけです。 せっせせっせと薪を割って、冬支度をし、冬眠ならぬ来年の準備を着々と進めるのでした。 振り返れば今年はたくさんの方々にわが社に来ていただきました。いつもお世話になっているお客様、工場見学の方々、TV撮影の方々、お役所の方々、われわれをサポートしようと努力してくれる方々とにかくいろいろです。 われわれが出来ることはほんとに少ないけれど、こうやって皆様に面倒を見ていただけるということが非常にありがたいと感じる1年でございました。 このことにまず感謝し、そしてこれに甘んじることなく来年に向かっていこうと今一度姿勢を正す想いで来年を迎えたいと思っております。 宮沢賢治は言いました。世界の幸せがあって個人の幸せがあるのだと。 世界はいろいろな問題や悩みであふれております。いまだに減らない問題があちこちにあるわけですが、みんなが笑顔になれる、笑顔でいられる2019年を祈願して残り2週間を過ごしたいと思います。 みなさま本年はありがとうございました。

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